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寒いのと花粉がイヤで南の島に逃げてきたラテン系マラソン管理人のブログ

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ラテン系マラソンおじ

Author:ラテン系マラソンおじ
本場中南米製ハンモックで眠るゲストハウス「カサ・デ・アマカ」管理人。07年7月、寒いのと花粉がイヤで北関東から沖縄の離島・伊良部島へ逃げてきました。ヘビ年生まれのサソリ座。facebookは「カサ・デ・アマカ/Casa de hamaca」で登録しています。

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島を走る7 渡口の浜


 8.5km附近で、下地島を反時計回りに一周する「管理人10マイルコース」が右から合流する。左には入り江に繋留される船が見えてくる。
 乗瀬橋を越えると伊良部島に戻ることになる。橋上から右手には、渡口の浜の一部が望める(写真左)。「亀島」はやっぱりカメの姿である。左手にはずっと入り江が切れ込んでいて、いつも穏やかなみなもが青く澄んでいる(写真右)。
 橋を渡りきって右に折れると浜に出られるのだが、浜辺を走ると割り増しの10kmエクストラコースとなるので、普通はあきらめて左の本ルートに入る。
 
 *渡口の浜 入り江の左右800メートルにわたって白砂のビーチが続く。かなたに、橋で結ばれる来間島と宮古島、そして前浜ビーチで名高い与那覇湾が見える。夏、乗瀬橋の上に、吹き抜ける風を求めて夕涼みに出かけることもある。
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2008/02/29 01:13|日常TB:0CM:0

島を走る6 琉球松並木


 林の中の道を突き当たり、左へ曲がると、県道90号に出る。まだ小さな琉球松の並木が続く直線の中ほどが6km地点だ。なぜ南国っぽいココヤシを植えないのだろうと走りながらいつも思う。いくら県の木とはいえ、松ではなんだか感じが出ない。背後は下地島空港入り口(関係者以外立ち入り禁止)だが、ここも車はまれのランナー天国である(写真左)。
 7kmで、空港の管理する宿泊施設「さしばの里」を過ぎる。管理人はここの日替わりランチをほぼ毎日食べに来る。安い!
 右にゴルフ場の芝生を見ながら(写真右)、8kmあたりのわずかな上りをゆく。ここが本コースの胸突き八丁。とはいえ、サトウキビ畑の向こうには夕日が落ちる。空が広い。
2008/02/28 01:07|日常TB:0CM:0

島を走る5 自然林の中へ


 なかよね橋(写真左)を渡って下地島に入ると、右手に再び佐和田の浜の独特な視界が開ける。しかも満潮と干潮ではまったく違う表情だ。左手には、大きいけれどいつもあまり人けのない宿泊施設「てぃだの里」が見える。歩道を走ろうが車道だろうがお構いなし。(歩道があるのが不思議!)
 写真右の5km地点で、当10kmコースと別メニュー10マイル(16km)コースとが分かれる。10kmコースは左のわき道に入る。右へ道なりに行けば下地島空港方面の10マイルロングコースである。
 10kmコースは、左右に木と草が生い茂った風景に変わる。木蔭があり、草の息吹が感じられ、蝶もたくさん舞っている。やや上り坂だが、ちょっとスピードを上げたくなってしまうくらいいい気持ちで走れる。
2008/02/27 00:55|日常TB:0CM:0

島を走る4 佐和田の浜


 管理人オリジナル10kmコース紹介に戻ります。
 平成の森公園をあとにして、次はコースのハイライトの一つ「佐和田の浜」沿いを走る。写真左は3km地点。海の見えるあずまやがあり、夕方だとおじいおばあがおしゃべりしていて、「こんにちは」と声をかけると笑顔を返してくれる。写真右の半円のモニュメントにタッチすると4kmちょうど。
 佐和田の浜は、遠浅の静かな湾内にある。明和の大津波(1771年)で打ち寄せられたという大岩がごろごろ転がっていて、日本の渚百選に数えられている。湾の向こう側には下地島空港があり、民間訓練機が発着する姿が見える。ここに夕日が落ちるときなどは、壮大な音楽が聞こえてくるようで、走っていても背中がぞくぞくし涙が出そうになる。
2008/02/26 06:29|日常TB:0CM:0

チーム・アマカ、伊良部島マラソンに出走


 島あげてのイベント「ロマン海道・伊良部島マラソン」(2月24日)に、チーム・アマカ4名(写真)が参加した。
 最長のハーフマラソン(21.1キロ)は伊良部島の平成の森公園をスタートし、下地島を時計回りに一周したあと、白鳥岬で折り返し、再び平成の森公園に戻ってゴールというコースだ。おおむね曇り、時々日が差し、この時期特有の季節風が強かったにせよマラソンにはまあまあの天気で、海やサトウキビ畑が見えたり、適度のアップダウンがあったり、顔見知りの応援があったり、ランニング仲間と併走したりと、なかなか楽しく走れた。ゴールして芝の上でだべっていると、キビ刈りエージの知り合いのおばさんが何となく現れて、煮しめやら、刺身やら、でっかいおにぎりやらの豪華な昼食を腹いっぱいごちそうしてくれた。
 小さいけれど、とても気さくな、温かみのある大会だった。完走賞がカツオまたはマグロ1尾というのも島らしい。チーム全員が好成績で完走を果たしたので、締めて4尾を獲得、その夜の打ち上げでイヤというほど食べた。余りは丸ごと近所に配って喜ばれ、そのうちの1尾分は泡盛1升と天ぷら、1尾分はかぼちゃプリンに化けて戻ってきた。
2008/02/25 15:45|日常TB:0CM:8

島を走る3 平成の森公園


 「平成の森公園」が見えたら、手前を右に折れ、公園の外周道路を一回りする(写真左)。野鳥観察小屋とガジュマルの並木(写真右)を過ぎると2kmチェックポイントだ。
 敷地には、野球場やプールつき体育館、屋外ステージ、こどもの遊具、あずまやなどがあり、たまにはおじいおばあがグラウンドゴルフに興じていることもある。
 平成の森公園は、毎年2月末(08年は2月24日)に開かれる「ロマン海道・伊良部島マラソン」のスタート・ゴール地である。8月の伊良部まつりでは、島の伝統民謡「トーガニ」のコンテストでも盛り上がる。

*「伊良部トーガニ」は伊良部島を代表する民謡(叙情歌)で、「唐金」という人物が創始したと伝えられる。男女の情愛を三線を奏でながら即興的に表現する。島には、お年寄りだけでなく、若者の愛好者がいるのがうれしい。
2008/02/22 02:09|日常TB:0CM:3

島を走る2 マングローブ


 伊良部島と下地島を隔てる入り江は、雨水が流れ込んだり染み出たりするので、塩分濃度の低い特殊な水域である。そんな干潟のような湿地にはマングローブと総称される植物が生えている。長い足のような「呼吸根」をもつのが特色だ。この入り江ではメヒルギやヤエヤマヒルギという種のマングローブが見られるという。
 民家の蔭ではあるが、カサ・デ・アマカから50メートルも歩けばそのマングローブの水辺がある。目と鼻の先に、泡盛のつまみにふさわしい珍味ヤシガニも生息しているのだ。
 ジョギングコースは、国仲橋をスタートして左に折れ、まずは北へ、平成の森公園を目指す(写真左)。ウォーミングアップの1キロほどは、草木の間から左右にところどころマングローブの湿地が現れ、目を楽しませてくれる(写真右)。
2008/02/21 01:07|日常TB:0CM:2

島を走る1 国仲橋


 カサ・デ・アマカ管理人のオリジナル10kmジョギングコースを紹介しよう。公道ではあるがほとんど車は通らず、のんびりした島の風を感じることができる。1キロごとのチェックポイントがあるので、ラップを確かめながら走るのもいい。
 伊良部島と下地島の間は、川のように見える入り江で隔てられている。私が数えたところでは、2島は入り江にかかる6つの橋(なかよね橋、たいこ橋、国仲橋、仲地橋、伊良部橋、乗瀬橋)で結ばれている。ジョギングスタートは、そのうちの1つ、カサから200メートルほどにある国仲橋だ。
 橋からの眺めが素敵なので、私はここでひざを回したり、屈伸運動をしてから走り出すことにしている。橋の上から釣り糸をたらす人や、入り江を抜けるシーカヤックを見ることもある。
2008/02/20 13:00|日常TB:0CM:0

景色まで違う、若さの賑わい


 おじさんたちのマラソンクラブ「伊良部長距離会」は、伊良部カントリーパーク陸上競技場で月に2回、5キロの記録会を行なう。台風以外は中止なし、というなかなか根性の入った記録会である。
 伊良部島のほぼ真ん中にあるこの陸上競技場は、メインスタンドや観客席、夜間照明つきの立派な施設なのだが、何人かのウォーキング愛好者と散歩の犬が主な利用者で、残念ながら肝心の走路はぼこぼこ状態だ。
 2月16日、その陸上競技場がときならぬ若き歓声に包まれた。「全宮古中学校新人駅伝競走大会」および「全宮古中学校運動部対抗ロードレース大会」が開催されたのだ。つまり、宮古島、多良間島をはじめ宮古島市の10以上の中学校の体育会系の生徒のほとんどがこの伊良部島に集まったわけである。
 伊良部長距離会のおじさんたちは、競技役員に駆り出され、道路でひまな旗振りをした。走っている姿の生きのよさはともかく、子供たちがたくさんいることにわくわくさせられた。
 子だくさん、そして妙齢の若者たちが多く住む島ならば、景色もまったく違って見えるはずだと思う。
2008/02/19 15:07|日常TB:0CM:0

島の即席ラーメン


 「ピヨピヨラーメン、たべてーみなっ」というテレビコマーシャルが、昭和の北関東に流れていた。私にとって、即席ラーメン(今は死語?)といえばピヨピヨラーメンだった。
 伊良部島ではオキコラーメンである。このパッケージをシマンチュに見せると、誰もが目を細め、その思い出をひもといてくれる。
 「えー、まだ売ってたのー。台風といえばこれを食べたさー」とクニミツさんは言う。おやつや普段の食事というよりもむしろ非常用だった。家に閉じ込められ、ろうそくの灯かりを頼りに熱いスープをすすった。
 「どんぶりにお湯、ではなくて、大きなナベに入れて煮たね」とジュンコさんは言う。あまり豊かでない時代だったので、家族みんなの分のメンに卵を1個だけ落とした。
 オキコラーメンは平成10年に販売が中止された。写真はスナック用に復刻されたミニサイズである(包装デザインは同じ)。

*先駆者日清食品のチキンラーメンの発売開始は昭和33年(1958)、サンヨー食品のピヨピヨラーメンは昭和38年(1963)、オキコ(沖縄県)のオキコラーメンは不明。
2008/02/18 15:04|食べ物・飲み物TB:0CM:2

花粉の飛ばない伊良部島の春


 初めて迎える伊良部島の春。これだけは「実感」として書いておきたかった。
 伊良部島では杉花粉アレルギーが発症しない。
 当たり前の話だ。アダンやパパイヤの木ばかりで、杉の花粉が飛ぶわけがない。しかし、2月のカレンダーの中旬あたりを見ていながら、目がしょぼしょぼせず鼻水がたれないのは本当にうれしい。ああまたこの季節が来たとうんざりし、薬局に走ることもない。
 冬の伊良部島は、北寄りの季節風が吹き、曇りがちの日が続く。特に今年は雨が多い。そんなうっぷんもあるにはあるが、雨上がり、風の止み間、たまの太陽を狙っては外に出かける。気温は日中20度前後。
 ヤマトで花粉症に悩む皆さん、この時期、堂々と、無防備で、ジョギングやサイクリングができるのですよ。
2008/02/15 00:59|日常TB:0CM:4

伊良部島の鍾乳洞


 どこかの山奥へ行ったわけではない。ここは南海の離島、伊良部島内陸部の地下世界である。
 サシバ(ワシタカ科の渡り鳥)の形をした展望台がある牧山は島でもっとも高度のある地域で、「長山竪穴洞窟群」はその西側にある。伊良部島と下地島は30メートルから80メートルの厚さの石灰岩に覆われており、雨水の浸透と溶食がこのようなくぼ地や洞穴、竪穴などをつくりだしたのだ。地形はドリーネと呼ばれ、内部は鍾乳洞になっていているところもあり、鍾乳石や石筍がたくさん見られる。
 写真は洞窟の中でも大きなものの一つ「ヌドゥクビアブ」である(「ヌドゥクビ」は「喉首」、「アブ」は「洞窟」)。深さは22メートル。地表から下まで木の根が垂れ下がり、見上げると円形に開いた溶食跡が確認できる。天井の崩落による石が、ほぼ平らな洞窟内にごろごろ転がっている。奥の暗がりには、さらに地下へ向かう竪穴が口をあけている。先は、ヘッドランプなしでは進入不可能である。

*鍾乳石の中でも、つららのように上から垂れ下がっているのを「鍾乳石」、地面からのびているように見えるのを「石筍(せきじゅん)」、上下がつながっていれば「石柱」と区別するそうです。
2008/02/14 05:25|自然TB:0CM:2

テキーラ好きのキビ刈りエージ


 ブエナス・ノーチェス! コモ・エスタ。キビ刈りエージです。島にはエージがたくさんいるので、カサ・デ・アマカではそう呼ばれています。「銭形エージ」とか「ヒー××・エージ」さんとかもアマカに時々現れます。(××は伏せ字。これを書くと島ではとんでもない意味になります。)
 横浜出身の23歳。調理師免許を持っています。よく国籍不明といわれ、アマカのお客さんからは「ミスター・ビーン」と名づけられました。19歳からもう4年も沖縄通いを続けています。波照間島でのキビ刈り経験を生かし、ここ伊良部島でも昨年12月からカマを片手に働いています。朝7時からお昼過ぎまで、10時のおやつ附き5000円というアルバイト料です。
 近くの「熱海ホテル」に住んでいるので、カサ・デ・アマカのスペイン語実習室に参加しています。スペイン語はさっぱり上達しませんが、テキーラの味はしっかり覚えました。酒棚のストックは遠慮なく私がすべて飲み干し、最近はボトル持参で堂々と訪ねてきます。

 *キビ刈りエージは、ロマン海道・伊良部島マラソンにエントリーし、管理人の私に勝つつもりでいる。返り討ちにしたいところだが、若さでだいぶエージに分がある。
2008/02/13 01:22|TB:0CM:2

カッピング初体験記


 ご近所の「ほぐしや三昧」で、カッピングを施していただいた。
 香の焚かれた、和とアジアンテイストの部屋でゆったり横になる。あとは主人のすばやい手際に委ねるだけ。「吸い玉」という丸い容器を使う。中を真空状態にして体にぺたぺた吸い付ける。胃腸のあたりに6箇所。目を閉じていると、おなかが吸盤のようなもので引っ張り上げられて、体全体が宙に浮いたような心持だ。
 うつ伏せになり背中には20箇所。こちらのほうが腹部よりもマッサージ感を覚える。数分ののち、ポンと吸い玉をはずすとき、古い皮膚がバリバリはがされるようなリフレッシュ感があった。
 原理や効能について素人があれこれ言うのは控えるが、その日の夕方の結果だけ報告しておこう。「伊良部長距離会」定例記録会に参加し、5キロを走った。自己新記録だった。
 ほぐしや主人は、北タイ式マッサージを本場で修業・修得した整体師である。料理人でもあり、施術後にいただいたかぼちゃケーキは「売り物にできる」と思った。問い合わせ等は090-6668-6684へ。伊良部島国仲。カサ・デ・アマカから歩いて2分と至近。
2008/02/12 01:45|TB:0CM:4

隕石は鑑定団へ行った


 正光おじいが遭遇した謎の石は、青・緑系を中心に、金、赤、オレンジ、黄など、とりどりの色にきらめいている。4年前にはテレビの「なんでも鑑定団」が調査に来たが、何も解らずじまいだったという。
 おじいの息子さんの一人Mさんは、かねてからその結果に不満だった。私に言った。
「高く売れればみんなが幸せになる」
 隕石は高額で取引され、「プロの隕石ハンター」などというものが存在することを聞いたことがある。「分け前を出す」という条件が提示され、少々私が役を担う羽目になった。
 私は以前、東京三鷹の宇宙科学研究所の天文学者を取材したことがあった。そのつてを頼って、「隕石」の写真と寸法・重さ、発見したときの様子などを詳細に書いて送ると、ほどなく丁寧な返事が着いた。

「大気圏外から落ちて来たにしては表面がとげとげしすぎているように思います。隕石かどうかのポイントは表面に黒皮があるかどうかです。普通コンドライトが隕石の大部分を占め、外見は割と平凡です。この石は、何かの金属の鉱石っぽく見えます。隕石ではないにせよ、どのような鉱物か興味がおありでしたら、国立科学博物館に鑑定を依頼されるとよいかと思います」
2008/02/11 00:45|TB:0CM:4

おじい自慢の「隕石」


 伊良部島佐良浜の眺めのいい高台に住む久高正光さんは大正10年(1921)の生まれだ。今年米寿である。
 三十数年前の話。正光おじいが浄水場の夜勤をしていたとき、「ドーン」という大きな音を聞いた。現場に行ってみると、煙がもうもうと上がり、そこにはまだ熱を持った石が落ちていた。石の周囲の草は焼け焦げていたという。「空から降ってきた」と地元新聞が取り上げて大騒ぎになった。
 その日、私たちがおじいの家を訪ねると、家宝として大事に収蔵している石を、箱の中から取り出して見せてくれた。長いところで17センチ、重さは1キロ弱ある。太陽にかざすと、数え切れないほどの多色に輝き、目を細めてしまうほどに眩しい。太陽光を反射するというより、まるで石の中に発光体が詰まっているようだ。
 これほどにきらめく石を、私は初めて見た。宇宙をさまよい、水の多い星に浮かぶほんの小さな伊良部島に命中した隕石なのだろうか?
2008/02/08 01:32|TB:0CM:0

宮の華か豊年か


 沖縄では、名物・特産物に「島」を冠することが多い。島歌、島ラッキョウ、島豆腐の類である。島酒とはもちろん泡盛のことだが、通称は短く「シマ」である。「何飲む?」「シマ」と使う。
 とにかく伊良部島民はシマを飲む。小さな島に2つのシマのメーカーがあることでもよくわかる。両社とも島の西側、伊良部地区にあり、「渡久山酒造」は佐和田の浜に近く、地区のなかでも北寄り、「宮の華」は渡口の浜に近く、南寄りに位置している。
 前述したように、伊良部島は「東の佐良浜地区」と「西の伊良部地区」とに分かれている。同じように伊良部地区も、どちらのシマを飲むかで真っ二つに分かれている。
 字(あざ)でいうと、北の長浜・佐和田は渡久山酒造の「豊年」、対する南の国仲・仲地・伊良部は「宮の華」を好んで飲むのである。これぞまさに地酒! 祝祭や宴会のときには、地元のシマを手土産に気炎を上げ、愛飲しているシマのほうがうまいと自慢する。
 シマで分けられる北・南は、東・西と同様、やはり民族の由来や言葉(方言)が違うからおもしろい。
2008/02/06 15:52|民俗・行事TB:0CM:2

伊良部島、2つの文化圏


 人口6000、周囲わずか25キロの伊良部島に、やや大げさに言えば「2つの文化圏」がある。東の「佐良浜地区」と、西の「伊良部地区」だ。東には漁港・フェリー港と断崖、西には製糖工場と砂浜がある。島の内陸部はキビ畑なので、地区と地区は5キロも離れている。
 まずもって民族が違う。佐良浜地区は、海人(ウミンチュ)の島として知られる池間からの移住者が多い。伊良部地区は、旧上野村系(宮古島)、八重山系(石垣島方面)など部落ごとに流れがあり、おおむね雑多である。よって、東西では言葉が違う。祭りなどの習俗も微妙に異なる。
 伊良部高校運動会の最終種目は「佐良浜VS.伊良部」の綱引きだった。クラスも学年もなく、PTAや私のような単なる見学者も、東西二つの居住地に分かれて名誉を競い合った。
 もうひとつだけ例を挙げておこう。西文化圏に住む私は、市民ランナーの会「伊良部長距離会」に入れてもらった。東にはライバル「佐良浜ランナーズ」がある。
 私の悩みの種は、佐良浜系の知り合いが多いことである。彼らはしょっちゅうわがゲストハウスを激励に顔を出してくれる。それを横目に見ていた近所のある人(私より年配者)が、声を落とし、苦々しい顔で私に告げた。
「佐良浜の人とはあまりつき合わないほうがいい」
 そんな子供なんだか大人なんだか解らないような率直さが、島人の愛すべきところでもあるのです。
(写真 佐良浜港)

*池間島は、宮古島の北にあり橋でつながっている。かつてはカツオ漁の盛んな島だった。
*ヤマトでは、「部落」は差別語だとして新聞やテレビでは使用禁止だが、島では普通に使っている。
*旧「上野村」は宮古島の南部。
*1月31日「島人の方向感覚」でも触れたが、島では東の「佐良浜地区」を「北地区」、西の「伊良部地区」を「南地区」と呼び習わす。どう見ても地軸がずれている。
2008/02/06 01:15|民俗・行事TB:0CM:0

ヤマトに運ばれた大岩


 伊良部島に山はないが、島で一番高い崖の上を「牧山」と呼んでいる。標高は89メートルある。渡り鳥サシバの形をした展望台があって、宮古から伊良部へ向かう船上からも、シンボルのようによく見える。
 展望台からは、海峡を隔てて宮古島や池間島・来間島を間近に眺められる。背後の島景色を含めて360度のパノラマである。
 下にはひときわ大きな岩が見える。 「ヤマトブーの大岩」または「トラバー」という。ヤマトブーはあたりの地名で、道路の下には由来の赤い岩がある(説明略)。トラバーは、琉球石灰岩(トラバーチン)から来ている。
 琉球石灰岩は古くから建材に用いられてきた。王朝首里城や民家を囲む石垣もこれである。
 以下、酔席での伝聞につき真偽不詳。
 トラバーはもっと大きな岩だったが、その威容と材質に目が附けられ一部が切り出された。そして遠路、ヤマトに運ばれた。目的は、誰もが知るあの建物のためである。皇居と国会議事堂。
2008/02/05 02:30|自然TB:0CM:0

がんばれ同居人、ホオグロヤモリ


 ほこりを払おうとしていたら、衣装ケースの上にいたので驚いた。今にも動き出しそうだが死んでいた。ホオグロヤモリの子どもだろう。
 島ではヤーズミャという。「家住み」だと思う。ヤモリ(守宮、家守)よりずっと親しい感じがする呼び名だ。ナキヤモリの別名があるように、夏場はとんでもない大声で鳴く。深夜に突然「カッカッカッカッ」と大笑いして、わかっていながらもギョッとさせられる。
 南の国は生き物が豊かである。家の中でもアリやムカデ、ヤスデが這い回り、大きなゴキブリや忍者のような蚊が浸入してきて、かなり図太い私でもその退治には気を遣っている。移住当初、まだ家の修繕が行き届かず穴だらけだったころ、夜中、耳元でガサゴソ音がしたので目を覚ましたら、10センチもあろうかという大ムカデが枕カバーの中でのたうっていたこともある。すっ飛びあがった。
 しかし、ヤモリとクモだけには、わが友として間借りを許している。家賃は、わずらわしい小さな虫の駆除である。
 今日まですでに3週間も、雲と雨が続いている。南国の太陽はちっとも姿を見せない。気温は20度前後に上がるのだが、うっとうしい薄ら寒さで体調がスカッとしない。風邪をまたぶり返した。ヤーズミャだってきっとやりきれない。
2008/02/04 01:56|自然TB:0CM:8

季節感のない島のホタル


 島ではホタルが一年中飛んでいる。
 ホタルは清流がないと生きていけないし、初夏の蒸し暑い日、短い命を惜しみ、風流な光を明滅させて舞うものだと思っていた。伊良部島には山や川は1つもない。海は美しいが「清流」とは無縁の世界である。
 一年中飛んでいるホタルの名はミヤコマドボタル。宮古島、伊良部島、来間島、池間島など宮古諸島にしか棲んでいない固有種だ。幼虫時代、ヤマトのゲンジボタルやヘイケボタルは清流の小さな貝を食べるが、このミヤコマドボタルは地上のカタツムリを餌にしている。清流と聞くと何だかひ弱そうだが、カタツムリに食いつくなんて、けっこう図太く生きているのだろうか。
 夜、星でも見上げようかと散歩に出ると、サトウキビ畑のわきの、わりと地表に近いところをゆらゆらと舞っていることが多い。あるいは草むらの中でひっそりと、消え入らんばかりに灯っている。内地のホタルよりもむしろ淡い光のように思われ、アマゾンあたりの、豆電球のように大きな熱帯ホタルとはまったく趣を異にしている。

(写真 ミヤコマドボタル=『いらぶの自然・動物編』より。名前にマドと附くのは、胸に透明な窓のような部分があるからだという。)
2008/02/01 03:10|自然TB:0CM:2

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