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寒いのと花粉がイヤで南の島に逃げてきたラテン系マラソン管理人のブログ

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ラテン系マラソンおじ

Author:ラテン系マラソンおじ
本場中南米製ハンモックで眠るゲストハウス「カサ・デ・アマカ」管理人。07年7月、寒いのと花粉がイヤで北関東から沖縄の離島・伊良部島へ逃げてきました。ヘビ年生まれのサソリ座。facebookは「カサ・デ・アマカ/Casa de hamaca」で登録しています。

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Festival de la cosecha 豊年祭

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伊良部島は、キビの夏植えが一段落し、農家がほっとする時期を迎えています。
そんな10月28日、部落で最も大切な行事、豊年祭前夜祭がおこなわれました。
一年に一度だけ御嶽(うたき)にお参りできる日でもあります。

数え40歳の地元男子は「一年生」と称され、御嶽の清掃や祭祀の裏方として働き、一人前の男として迎えられます。
地元を離れている「一年生」たちも、この日のために島に帰ってきます。

私もささやかにお参りしてきました。
え? サワ・デ・アカマ!
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2016/10/28 21:53|歴史TB:0CM:0

沖縄3つの歴史ものがたり

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 アマカの本棚から、沖縄の歴史をめぐるフィクション(小説)をご紹介します。

   *   *   *

『小説 琉球処分』上・下 (大城立裕・講談社文庫)
 明治初期。沖縄はまだ琉球という独立王国だった。日本政府は、軍事的圧力をもって琉球を解体し、体制下に組み入れる。これがいわゆる琉球処分である。日本は王国をどう処分し、琉球内部はどう揺れ動いたのか。

『琉球の風』一~三 (陳舜臣・講談社)
 93年NHK大河ドラマの原作。歴史ロマン小説。江戸時代初期、薩摩藩は三千余名の兵を率いて琉球王国に侵攻する。琉球の屈辱と苦悩を、実在と架空の人物を織り交ぜて描く。

『運命の人』一~四 (山崎豊子・文芸春秋)
 沖縄返還交渉の中で、内閣はアメリカ側に裏金を出すという密約を交わしていた。一新聞記者がその密約をスクープするが、事件はスキャンダルへとすり替えられる。第四巻で主人公は伊良部島へ…

   *   *   *

 それぞれの小説は、「薩摩侵攻」「沖縄処分」「沖縄返還密約」という、沖縄の歴史における3つの重大事件をテーマにしています。
 小説の出来不出来、テーマの描き方についてはあえて触れません。
 
2013/04/13 11:57|歴史TB:0CM:0

沖縄三女性のものがたり

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 アマカの本棚から、沖縄に生きた三人の女性を巡るノンフィクションをご紹介します。

   *   *   *

『美麗島まで 沖縄、台湾 家族をめぐる物語』(与那原恵・ちくま文庫)
 著者の家族の歴史をたどる旅。祖母夏子は松井須磨子の劇団「芸術座」に所属した沖縄初の舞台女優、その夫南風原朝保は森鴎外の日記にその名が出てくる医師だった。朝保の弟朝光はご存じ沖縄屈指の画家。家族の物語に沖縄、日本、台湾の歴史が交錯する。

『ナツコ 沖縄密貿易の女王』(奥野修司・文春文庫)
 終戦から数年間、占領下沖縄に密貿易の時代があった。世にケーキ(景気)時代という。糸満生まれの金城夏子は「女親分」として密貿易に携わった。苦しい時代に、沖縄庶民のたくましきエネルギーを象徴する存在だった。物語は、沖縄諸島を中心に日本、台湾、香港、マカオ、上海などにも広がる。

『沖縄独立を夢見た伝説の女傑照屋敏子』(高木凛・小学館)
 照屋敏子は、作家大宅壮一が「沖縄に男あり」と評した女傑である。糸満漁法による船団を組織して名を馳せ、「奇跡の1マイル」那覇国際通りで宝石とワニ皮を扱う「クロコデールストア」を構えた。敏子は「沖縄は日本のものでもアメリカのものでもない。琉球人のもの。独立すべきだ」と夢見ていた。

   *   *   *

 たくましくも哀しい沖縄女性のものがたり。
 3冊の本はそれぞれ独立したノンフィクションでありながら、3冊で1冊の本とも読めます。
 与那国島や台湾にもきっと行ってみたくなります。
 
2013/03/22 15:34|歴史TB:0CM:0

現役の古井戸

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 島のサトウキビ畑のあちこちが、バリカンが入ったようにすっきりしてきました。
 農家のキビ刈り作業は大詰めです。

   *   *   *

 伊良部島字伊良部にフナパガーという古井戸があります。
 15世紀ころの開削とされ、近くのフナパ村、ウポザト村、ウポドウ村の中心にあったといいます。
 この井戸に祀られるのが女神。先にご紹介したカンザトガーの男神とともに「夫婦神」として信仰を集めてきました。

 さてこのフナパガー、数百年を経ていまでも現役です。
 階段を10メートルも下りると、透明な地下水がそよそよ溜まっているのが見えます。

   *   *   *

 フナパガーからくみ上げた水は、この時期だけ稼働する伊良部製糖工場へ送られ、ボイラーの冷却などに使われます。
 製糖工場の設立が1962年(昭和37)のことですから、かれこれ50年ほど島の主要産業に役立っているわけです。

 自転車で井戸巡り。
 カンザトガー→ダキフガー→フナパガーとご案内します。
 

(*いろいろと教えていただいた伊良部長距離会クガイ会長に感謝申し上げます。)
2013/03/19 17:51|歴史TB:0CM:0

カンザトガー(神里井戸)

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 伊良部島の佐良浜地区に水道が敷設されたのが1966年(昭和41)、島の7部落全部に送水が行きわたるのがその4年後のことといいますからそれほど昔のことではありません。

 それ以前は、雨水もしくは共同井戸が庶民のよりどころでした。
 ダキフガー、フナハガー、コヤガー、アラガー、サバウツガー、ンマガーなどが共同井戸として『伊良部村史』に載っています。
 (「ガー」は「井戸」の意。全部の所在地を確認したわけではありませんが、いくつかは井戸跡として残されています。)

   *   *   *

 カンザトガー(写真)もその一つです。
 地上から5メートルほどの深さに大きく掘って石段と垣を組み、底に井戸本体があります。
 説明書きには、「15世紀の開削で、今でも『生まれ元島の水』として神事に使われている」とありますが、井戸はすでに土で埋められており、水の姿は見えません。
 あるいは、ここで神事だけが引き継がれているのでしょうか。

   *   *   *

 自転車で旅行している大学生カップルといっしょに、伊良部島の古跡を巡りました。
 すっかり初夏模様。自転車に一番いい季節の訪れです。
 
2013/03/17 11:07|歴史TB:0CM:0

2月20日は還暦祝いの日

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 うちのおばあちゃんは、お正月を迎えると、お年玉といっしょにこう言ったものです。
「お前はこれでいくつになった?」
 私の親の世代まで、いや私の小さいころまでは、「数え年」が満年齢と並行して使われていました。

 生まれて1歳。新年を迎えるとプラス1歳。これが「数え年」ですね。
 誕生日には関係なく、同じ年に生まれた人は全員同じ年齢を重ねます。

   *   *   *

 伊良部島では、民間行事のほとんどは旧暦に基づいておこなわれます。
 2月10日が今年の旧正月(元旦)でした。
 1953年(昭和28)生まれの人は、この日に還暦を迎えました。

 巳年生まれが巳年を迎える。
 「還暦」という言葉がぴったりですね。

   *   *   *

 暦の本や、少々詳しめのカレンダーを見ればわかりますが、一年のそれぞれの日に、ね・うし・とら・う…の十二支が順番に割り当てられています。

 伊良部島では、旧暦元旦から数えて初めて迎える「その年と同じ十二支の日」に還暦を祝ううたげを催します。
 今年は巳年ですから、最初の巳の日は2月20日(旧暦では1月11日)。
 この日のために島に戻ってくる人もたくさんいます。


 私も、ワインでも抜いてささやかに乾杯しようと思います。

(写真)2月17日菊之露杯デュアスロン大会にて
 
2013/02/19 13:24|歴史TB:0CM:6

伊良部島最初の移住地


 村を棄ててから何年経っているのでしょう。

 井戸跡の石積みが、大木の根にすっぽりおおわれて、痛々しいほどに締め付けられています。
 石積みの上に落ちた種子がいつしか芽を出し、ジャングルの雨と木漏れ日を浴びて伸び、こんな大きな木に育つまでの時間が経過しています。
 20年ほど前に見たメキシコ・マヤ遺跡の光景が蘇ってきました。

   *   *   *

 展望台のある牧山の下あたりに「久貝村」はありました。
 記録に残る伊良部島最古の集落です。
 1310年のこと。浜の近くに宮古島の漁師が仮小屋を建てたのがその起こりとされています。
 
 井戸跡「マキガー」は村の唯一の名残りです。
 (「ガー」は井戸の意。「マキ」は地名でしょうか。)

 急な斜面を五、六メートル、埋まった井戸の底へ下りることができます。

   *   *   *

 お申し出ください。いつでもご案内します。
 
2012/04/20 10:13|歴史TB:1CM:2

伊良部島のトンネル


 足もとの悪い真っ暗闇のトンネルを、頭をかがめて歩くこと30メートルほど。
 ぽっかりと開いた出口からは、宮古島平良港方面と青々とした海峡を額縁絵のように見ることができます。
 出口は崖の中腹にあり、すぐ下には手つかずの原生林が広がっています。

 宮古島方面から上陸する敵軍を撃つには格好の場所であったと思われます。

   *   *   *

 伊良部島にも太平洋戦争の爪痕がいくつか残っています。
 件のトンネルは、軍が数カ月をかけて掘り進めました。
 1944(昭和19)年から翌年にかけてのことです。
 兵員だけではこと足りず、村の青壮年が召集されました。
 ツルハシ、石斧、金棒を持参のうえ汗水を垂らした挙句、開通とともに終戦を迎えたそうです。

   *   *   *

 トンネル入口は、伊良部島牧山展望台のすぐ下にあります。
 付近に草ぼうぼうの遊歩道があるので、探検気分で散策してみるといいでしょう。

 一つ付け加えておきます。
 非公式な調査ながら、伊良部島の空襲被害は死亡3名、住宅焼失7軒、家畜二十数頭、伊良部・佐良浜国民学校校舎破壊、畑地に着弾痕数か所との報告があります。

   *   *   *

 意外と博識クガイ会長に案内していただきました。
 まだまだ続きます。
 
2012/04/11 11:16|歴史TB:1CM:2

元島のたまいし(伊良部島)


 伊良部島西側の高台。
 風が通り、下地島方面の穏やかな海がかなたまで見渡せます。
 サトウキビ畑の真ん中に、6、70センチほどの石が祀るように置かれています。
 霊石(たまいし)と呼んでいます。
 
 いつもは繁るサトウキビの葉に隠れているので、収穫が終わった春から夏の間にしか見ることができません。

   *   *   *

 あたりには、いつのころまでかは不明ですが、集落がありました。
 「元島」という部落だったそうです。
 霊石の置かれている隣の畑の石垣では、今でも瓦や土器のかけらを見つけることができます。
 集会所跡だといいます。

   *   *   *

 『伊良部村史』によれば、伊良部では部落のことを「スマ」といいます。
 してすると、元島(もとじま)という名からは、伊良部の元となるようなかなり古い部落が想像できないでしょうか。

 この石。
 信仰にかかわる霊石説のほかに、村長の娘の化粧台、裁判所のものなどの俗説があります。

   *   *   *

 意外と博識クガイ会長に案内していただきました。
 まだまだ続きます。
2012/04/07 09:55|歴史TB:1CM:0

クガイ会長の伊良部古跡案内


 春の陽射しがうららかなある日、クガイ会長に島案内をお願いしました。
 会長は、何度もトライアスロンを完走し、いまだに現役バリバリの体育会系おじさんですが、島の自然・歴史に精通すること古老のごとし。
 人はみかけに寄りません。

   *   *   *

 まずは『スサビミャーカ』。製糖工場近くにある巨石墓です。
 (「ミャーカ」は墓の意。「スサビ」は不明。案内板によれば、1600年ころの建造。)
 家一軒ほどのスペースを、切り出した巨石(石灰岩)で垣のように囲み、中にいくつかの石棺を配置しています。
 会長が指さしているのは中央のもっとも大きな棺で、おそらくは「長」クラスのものかと思われます。

 なぜか棺の蓋は大きなサンゴ。
 その一つには、かなり風化した人骨が残っていました。


   *   *   *

 『伊良部村史』(1978年発行)によれば、700年前の14世紀初め、伊良部島に漁撈・耕作に勤しむ人々が住んでいたという記録があるそうです。
 
 しばらくは、すこしばかりそんな歴史をひもといてみましょうか。
2012/03/28 13:54|歴史TB:0CM:0

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